忘れないよ!

スタッフブログ

おはようございます、ペットメモリアルRinneのエリザベスです。いや、外国人ではありません。生粋の日本人で蒲郡産です。

今朝の中日新聞の《中日春秋》というコラム欄を今日のアイキャッチの写真にしました。

内容をかいつまんで書きますと、石川県輪島市の中学3年生の喜三翼音(きそはのん)さんが能登豪雨災害で約170km離れた福井県沖で見つかったという記事に絡んでいます。

同じ石川県のかほく市出身の哲学者《西田幾多郎(にしだきたろう)》の次女は4歳で亡くなっているとのこと。

随筆の《我が子の死》の中には次のような内容が書かれているそうです。

『亡き我児の可愛いというのは何の理由もない、ただわけもなく可愛いのである』

『どうにかして生きていてくれればよかったと思うのみである』

『若きも老いたるも死ぬるは人生の常である。死んだのは我子ばかりでないと思えば、理においては少しも悲しむべき所はない。しかし人生の常時であっても、悲しいことは悲しい』と。

理屈を超えてただ可愛く、悔しく、悲しい。…翼音さんの発見を待っていた父親の鷹也さんの気持ちと同じでしょう。

行方不明になってから毎日『見つかって欲しい!』という渇望がニュースや新聞の記事からもよくわかりました。『お帰りと言いたい』という父親の言葉に胸が痛みます。

これはペットを亡くされたご家族の気持ちによく似ています。

今やペットは《我が子》同様に可愛がられています。

『私たち、子供がいないんで…』というご夫婦は、人間のお子さんのように育てていらっしゃることが多いです。

人間の寿命と比較すればペットの方が先に亡くなるのが常です。そうなると必然的に我が子を看取る・見送るような境遇に立たされます。

思い入れの強い子を亡くした場合は《ペットロス症候群》というメンタルの病気にまで発展することもあります。

在りし日の《シトラ》

私も2023年4月1日に最愛の息子《シトラ》が最期を迎えた時はかなり萎えました。19年と8ヶ月一緒にいた時間が一瞬だった気がしました。いや、でもたくさんのいろんな思い出があります。

『時の経過は傷を癒すが、苦痛が伴っても子を忘れたくないのが親だ』と。

『折にふれ物に感じて思い出すのが、せめてもの《慰藉=慰めいたわること》である、死者に対しての心づくしである』と西田幾多郎さんは解いています。

亡くなった人やペットを思い出して涙することはご供養に繋がります。でも、泣いてばかりいては天国で見守ってくれている人やペットが心配しますので、必ず明るい笑顔を見せて安心させてあげてください。…『元気でやってるからね』と。

ペットを飼っていない人や、動物が苦手な人からすれば『ええ、そこまで思う?』と言う方もあるでしょう。

実際にペットを亡くされた方が、飼っていないお友だちに『うちの子が亡くなったの』と打ち明けたら、『じゃあまた飼えば』と簡単にあしらわれ、かなりショックを受けたという実例もあります。

『ペットを飼ってない人に言ってもわかってくれない!』『逆に心ない言葉を言われて、もっとドン底に落とされた!』と号泣していらっしゃいました。

何でもそうですが、同じ境遇・立場に置かれないと気持ちは共有できないところもあります。

私やRinneの社長=娘は、愛する我が子同様のペットを亡くした悲しい経験があるからこそ皆様のお気持ちがよくわかります。だから少しでも寄り添うことができればと思っています。

輪島市の喜三翼音さん、あなたの優しさはみんなの心の中で生き続けていくでしょう。どうか安らかでいてください、ご冥福をお祈りします。

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