おはようございます、ペットメモリアルRinneの浅香です。
昨日は《心の栄養》という話を書きました。
人間が食事から摂る三大栄養素は《炭水化物》《タンパク質》《脂質》ですが、心の栄養の三大要素は(私の勝手な分析ですが)《愛情・慈愛》《思いやり》《感謝と謝罪》だと思うと書きました。
で、食べ物の栄養は食材から摂取しますが、心の栄養は他人から与えてもらうしかないのでは、とも書きました。
そして、心の栄養が十分満たされている人は、他人に対しても優しくできる、つまり今度は自分が他の人に栄養を与えてあげられるようになります。この繰り返しが上手く連鎖していけば、もっともっと良い人間関係を築くことができるのではないでしょうか?
今の世の中、なにかと《○○ハラスメント》と言って他人を否定し自分を守ります。
もちろんこれが事実で、かなりまずい状態まで影響を及ぼしているようなら問題ではありますが、単に言えば互いのコミュニケーションのズレで、その発言にどういう《意図》があるのかということと、発言の裏に《愛情》という栄養が含まれているかどうかの見極めができるかできないか、それだけのことなんじゃないかと思うのですが。
言葉は時に《刃》になるとも言います。言葉選び、言い方、声の強弱、そんなのだけでだいぶ違ってきます。
でも、その言葉を伝える時の状況や心理によって、たった1つの言葉でもかなり違ったニュアンスになってしまうこともあります。
それに今はデジタル機器の操作が増えてコミニュケーションをとることが激減してしまいました。なんでもかんでもSNSだのメールだので、直接電話をするとか会話をすることが減っています。
それによって今度は《文字・文書》でのトラブル(誹謗中傷)が起こるようになりました。文章なんて、読んだ人の感覚(視覚で判断すること)ですからね。
例えば何かを伝えて、相手から『わかりました』と返事が来ました。この言葉を見ただけでは相手の気持ちを十分理解はできませんよね。
直接声や口調を聞いたわけではないので、本当に了解したのか、あるいはイヤイヤ言っているのか、とりあえずで言っているのか、実は疑問点がありよくわかっていないのかもしれませんよね。
人間には《喜怒哀楽》がありますので、その感情を表すのは当然のことです。でも、それを文字にすると、時には異常に強くなってしまったり、時には表現力の乏しさからしっかり伝わらなかったりします。
今回私が書いた心の栄養は、生身の人間が直接触れる優しさから摂ることができるということを言いたいです。
私は朝夕の犬散歩で、すれ違った人には必ず《笑顔》で挨拶をするようにしています。…知らない人にでも。
《和顔施(わがんせ)》という言葉を聞いたことがありますか?…これは、いつもにこやかに、穏やかな顔つきで人に接することを言います。
《無財の七施》というのがあり、財を持たなくてもできる施しがあるというものの1つです。
周りの人、動物、物に対して優しい気持ちで接することをいつもしていこうと思います。それが心の栄養となるので。