おはようございます、ペットメモリアルRinneの浅香です。
昨日の新聞に《福井県知事 辞職表明》という記事が載っていました。…今日のアイキャッチの写真です。
複数職員にセクハラに当たるメッセージを送っていた《セクハラ問題》が理由です。
そして昨日、午後から、元TOKIOの国分太一さんも緊急記者会見をやっていました。

『どの行動がコンプライアンス違反なのか、答え合わせができていない』という発言で、国分さん自身、自分での認識がない事柄(意識していない言動)が指摘されたようだと言っています。
そうなんです!今の世の中、世代の違いで《感覚》がだいぶズレているんです。
だから、昭和・平成・令和の人間が《共存》していくのが難しい時代になっているんです。
昭和の時代の人間からすると《当たり前》の言動が、平成や令和の人間が過剰に反応しているように思えてなりません。…なんて書くと、また私も叩かれるかもしれないけど。
私たちの時代は、例えば上司がセクハラまがいなことを言ってきたとしても、『なんだかなぁ、このスケベ親父が…アホか!』と思いながら、笑って聞き流していました。
パワハラ的なことを言われても、それは自分が《未熟》だから《叱咤激励》してもらっているんだと思えました。そして『同じことを言われないように、同じミスをしないように頑張ろう』と自分を鼓舞したものでした。
ところが今は些細なことですぐ『精神的苦痛を与えられた』なんて訴えられてしまいます。…逆にこっちからすれば、そんなことでいちいち目くじらたてられたら仕事がまわっていかないし、社会が成り立たないだろ!と、それこそストレスになります。
明らかに性的な行為を強要されたとか、特別な関係を迫られたとか、誰に聞いても『それはおかしいよ、異常だよ』と共感されるようなことだったらもちろんアウトですが、この前あったように《○○ちゃん》と部下を呼んだなんてこと、あるでしょと思います。
最近の若者は《過敏》になり過ぎているのでは?
まあ、逆に言えば、それだけ神経質に(真剣に)何でも受け止める人間が増えているのでしょうか?
もっと大らかな気持ちになれないモノですかねぇ?
ちょっと前に放送されたドラマ《不適切にも程がある》の中で『みんなもっと寛容になろうよ』と阿部サダヲさんが言っていた場面がありました。そして、『♪寛容になりましょう〜』なんて歌を歌って踊っていました。
まさにそうだと思います。
そんなに真剣に受け止めなくても、『バカ言ってる』ってあしらえばイイじゃないですかねぇ?
でなければ『その発言はグサっときましたよ』とか『ちょっと違和感ありましたよ』と指摘すればイイじゃないですかねぇ?
…いや、それが言えないから訴えるんじゃないって?
まあ、その場その場でいろんなパターンがあるとは思いますので、一概には言えませんが。
今の世の中、人間関係が希薄になっていますし、思いやりや愛情が欠乏しているんでしょうね。
『昭和の時代は良かったね』と、今日も言い合うシニアですわ。


