うちの《シトラ》が亡くなりました

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こんばんは、ペットメモリアルRinneの浅香裕子です。

4月1日、今日から新年度がスタートします。なんだか新しい気持ちになってウキウキするような、フレッシュな気分になる日ですね。

ですが今朝ほど、うちのご長寿猫《シトラ=オス》が静かに息を引き取りました。

シトラは2003年8月10日に私が拾ってきた子です。

うちの近所のコンビニの駐車場で『みぃ…みぃ…』と赤ちゃん猫の鳴き声がするので、近寄ってみると2匹の子猫がいました。雨が降っていて2匹ともビタビタに濡れていたので、急いで拾い上げてやろうとした途端、1匹の子は私の顔を見るなり慌てて走って逃げだしました。そうしたら、その子だけ近くの用水路に落ちてしまったのです!

私は近くにいる人に『すみません、子猫が用水路に落ちちゃったんですけど、誰か助けてもらえませんかー!』と大声で叫んだら、ブラジル人の若い男性が用水路の中に飛び込み、流れて行く子猫を拾い上げてくれました。

よかった!とお礼を言いに行ったら、『この子どうしたの?』と言うので『捨てられてました』と言ったら、濡れた子猫を自分のTシャツで拭きながら『じゃあ私がもらってあげる』と、そのブラジル人のカップルが連れていってくれました。

その時とっさに『あの〜もう1匹いるんですけど』と言ったら『2つはいらない』と断られて残ったのがシトラです。

で、『この子をどうにかしないと』と思い、そのまま雨の中、近くのスーパーへ走って行き、段ボール箱をもらってきた記憶が今でも鮮明に甦ります。

実はこの子(シトラ)を迎えた頃、私は相当精神(心)を病んでいまして、今ではとてもあり得ないことですが、その当時、本当は《自殺》も考えたことがあったんです。

でもそんな時、『シトラを残して死ねない』ととどまったんです。だから、シトラは私の命の恩人、いや恩猫です。

そんなことがあり、シトラと一緒にいた19年と8ヶ月、数多くの苦楽を共にしたわけです。それだけ思い入れの強い子なので、今は本当にツラいです!悲しいです!どうにかなりそうです。

シトラを育てて5年後、2008年に別の猫《クララ=メス》を迎えました。クララはシトラを親猫のように慕い、2匹はすごく仲良しです。

この冬の間、ガリガリに痩せたシトラを暖めてあげるかのように毎日寄り添って寝ていました。

…暖めているというより、押し潰しているようにも見えますが。

シトラは数年前から《腎臓》が悪くなっていたようで、大量に水を飲んでオシッコの量もすごく多かったです。

そして《認知症》にもなっていたようで、ごはんを食べても食べてもまだ食べたい状態でした。だから1日中『ニャー!ニャー!(ごはんちょうだ〜い)』とおねだりしてないてました。

シトラはこれまで特に大きな病気もせず、ずっと健康でしたが、1回だけ《肥満細胞腫》という悪性腫瘍ができて、2016年12月に切開手術を受けました。

包帯ネットがすごいことに。…リンゴやミカンじゃないんだから。

これは手術後の2017年のお正月の写真。お鏡餅の横にいるシトラの左の脇腹にかなり切った跡があって痛々しいでしょう。

その後は元気に長生きしてくれました。でも、寄る年なみには勝てません。今日《老衰》で大往生しました。

夕方から私が《火葬》しました。シトラを迎えた時は、まさか私が火葬するとは夢にも思っていませんでしたよ。

お骨はかなりしっかりしていました。私たちもいろんな子のお骨を見ているのでわかりますが、『この骨なら長生きするわ!』と思うような白くて立派で丈夫な骨でした。

《虹のしるべ》のローソクを今日から1本ずつ灯して《四九日》までしっかりご供養します。

今回、自分でシトラを火葬する時、本当に最後のお別れがつらかったです。涙が止まらなかったです。火葬炉の扉を閉めたくなかったです。火を入れたくなかったです。煙突からのぼる熱をずっと眺めていました。

今日4月1日は《エイプリルフール》です。『今日のこのブログの話はうっそピョーン!』『これドッキリ!…てってれー』って言いたいところですが、マジな話です。もうシトラがいなくなっちゃいました。うそじゃないんだなぁ…残念ながら。

悲しくて、悲しくて、悲しくて、亡くなってすぐは放心状態でしたが、今日も仕事でしたので気持ちを切り替えて業務にあたりました。でも、いつもより一層ご家族様の気持ちに寄り添うことができました。

シトラ君、本当に本当にありがとう!ゆっくり休んでね。そして、また会おうね!

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