変わりつつある子供の心

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おはようございます、Rinneの母・浅香です。今朝の犬散歩の時の気温は13度でした。ニット帽・マスク・ネックウォーマー・手袋は必須です。寒くなってきました。

さて、先日の新聞に今日のアイキャッチの写真の記事が載っていました。

《運動会は恥ずかしいから嫌い》と。小学校の時に嫌だった学校行事は?というアンケートでは《運動会》が1位でした。

勉強よりも体を動かすことの方が好きな私は『ええ!それ本当?』とびっくりでした。私は《授業参観》や《三者面談》の方がよっぽどイヤでしたけどね。

うちの母親は、授業参観や個人懇談のあとは必ず1時間くらい《説教》でしたからねぇ。学校から帰ってくるなり『ちょっとここに座りなさい!』から始まり、正座をさせられて面と向かって1時間あーだのこーだのと叱られてました。

その内容は『あんな問題、なんでわからないの!』とか『どんどん手を挙げて発言しなさい』とか『授業中はよそ見をしていないで先生の方を見て集中しなさい』なんて感じ。…小学生の授業ですよ。社会人の営業会議じゃあるまいし、今思うと『なんじゃそりゃ?』です。

私の母は、いわゆる《優等生》だったようで、その母からすれば私は《できの悪い子供》だったようです。こんなこといったらなんですが、私の成績表、(5段階評価で)4が並んでいたんですが、母はそれでは気に入らず『なんで5がとれないの!』と。3なんかついた日にゃあもうこの世の終わりかというくらいでした。『次の学期で絶対に4に上げなさい!』と説教の声も大きくなり、時間も長くなりました。

私も親になり、同じ立場で子供の成績のことを考えましたが、私は母のような緊迫感は全くありませんでした。だから、うちの子たちに、私は成績のことでは何も言ったことがありません。たとえテストで0点だったとしても『お〜見事な点数!なかなか0点をとるのも難しいと思うよ』ってな感じで対応したと思います。それに、子供たちの成績表というものをまともに見たこともなかったですし。

なぜ母はそんなに成績のことを気にしていたのかがわかりません。『学校での成績なんかで人間の評価はできないでしょ!』というのか私の考えだからです。

で、話は運動会に戻りますが、今時の運動会は、まあコロナの影響もあってかもしれませんが1時間で終わると聞いてびっくり!

先日息子が『今度の週末、子供の運動会だ』というので、『親子競技とかはない?あ〜幼稚園や保育園じゃないで、そりゃないか?』なんて言ったら、『だって1時間で終わるもん』と。

詳しく聞くと、最初9時からの1時間は3・4年生がやって、あとの1・2・5・6年生は教室で授業。そのあと10時からは1・2年生に変わり、またその他の学年の子(3・4・5・6年生)は授業。そして最後に5・6年生という感じで3部制なんだそうです。で、午前中には全て終わって全員下校。

親は自分の子供が出る時だけ見に行って、終わればすぐに『お帰りください』だそうです。もちろんお昼ご飯のお弁当を作って持って行き、一緒に食べてなんてことはないです。…まあ、これは今のご時世色々な事情もあるようなので廃止しているだろうとは思っていましたが。

なんだか淋しい学校行事ですねぇ。

教育委員会の方から『運動会をやれ』って言われているから仕方なくやっている、みたいな感じに見えてしまうのは私だけ?

なんだかこれでは親子の絆も深まらない気がします。…『こんな運動会ごときで絆なんか関係ないし。うちではちゃんと愛情いっぱいで育ててます』って言われるかもしれませんが、子供の心って、親のちょっとしたハプニングや気遣いや思いやりや優しさを見ることで変わるんではないのでしょうか?

そして、たとえ失敗したり負けたりしても『大丈夫だ!よく頑張ったじゃないか』と励ましてやる。《俺は・私は(親として)いつもそばにいて見守っているから》っていう安心感を子供に与えることが大切なんじゃないのかなぁ。そうすれば《恥ずかしいから嫌い》なんて言葉は出てこないように思うのですが。

それとも、今の子供たちは『…とか言ってるけど、1番大丈夫じゃないのは(親の)あなたでしょ』って言われちゃうんでしょうかね。

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